皆様こんにちは!
手彫りのベンチです。
水天門 安徳天皇阿弥陀寺陵
耳なし芳一
長府毛利邸玄関
この長屋は長府藩家老職であった西家の分家(長府藩御馬廻役、220石)の本門に附属していたもので、
TIPメール編集部部長 宮本&副部長 実藤(さねふじ)です!
台風がきておりますが皆様とばされていないですか?(笑)
いやいや、油断は禁物です。(・・;本当にお気を付け下さいませ!
さて早速ですが、
前回ご案内いたしましたバスツアーの内容が変わりましたのでご案内させていただきます。
天神(13:00)----博多----久山(五十鈴旅館)
唐津:鏡山----おさかな村----ブーゲンの森
----天神----博多----久山(22:30頃)
久山にある五十鈴旅館では乗車と観光もかねて立ち寄ることになりました。
五十鈴旅館では秋吉 忠(アキヨシ タダシ)さんの作品をご覧いただけます。
手彫りのベンチです。
古民家なども作られてます。心温かみのある作品をご覧いただけます。
只今ご好評いただきまして、残り10席となりました。
今週6/23(土)台風が去った後はすっきり爽やかなお天気になるはず!
夕食付で¥4,900-ぜひ、ご参加お待ちしております。
ではでは・・・
今週も早速添乗記スタート!
営業の森です。
今回は北九州発の貸切バスで行く『城下町・長府と源平合戦の地下関を訪ねる』日帰りの添乗日記です。
北九州----小倉南I.C----(関門橋)----下関I.C----赤間神宮にてご参拝----城下町・長府市内観光へ
09:00 09:00 09:20 09:30 10:40 10:55
現地ガイドさんの説明を聞きながら徒歩にて(長府藩侍屋敷長屋~下関市立長府博物館にて学芸員さんより説明~功山寺~長府毛利邸~菅家長屋門~
古江小路~長府観光会館にて“ふく料理”の昼食)----前田砲台跡:車窓----みもすそ川公園----下関カモンワーフ・唐戸市場にて各自散策----
13:55 14:05 14:20 14:25 15:45
----下関I.C----(関門橋)----小倉南I.C----北九州
16:00 16:05 16:20 16:40 16:45
まずはNHKの大河ドラマで大人気???? 源平合戦で有名な赤間神宮
水天門 安徳天皇阿弥陀寺陵
耳なし芳一
1185年(寿永4)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る。
二位の尼(清盛の妻)は、8歳の天皇に「波の下にも都の侍ふぞ」と言い聞かせて壇之浦で入水したという。
朱塗りの水天門はその「波の下の都」を思わせる華やかな龍宮造。隣接地に安徳天皇御陵、
境内には平家の武将の墓碑・七盛塚[ななもりづか]、小泉八雲の『怪談』で有名な耳なし芳一の像を
安置する芳一堂、『紙本墨書平家物語20冊』(重要文化財)などを収蔵する宝物館がある。
平家一門は、壇の浦で最後の戦を源氏勢に挑みます。
しかし合戦は、海峡の潮流を味方につけた源氏が勝利をおさめ、平家は滅亡しました。
これより日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきます。
赤間神宮を出発
バスで15分で城下町・長府本州の西端山口県下関市にこの町があります。
この城下町長府の歴史は古く、この地が「古事記」や「日本書紀」などの記録の上に登場してきます。
大化の改新(645年)以降、この地方は穴門、阿武の二つの国が合わせて長門の国となり、
その国府(役所)が、ここ豊浦に置かれていたことから「長門の国の国府」がつづまって、
長府と呼ばれるようになりました。
壇之浦の戦いで源氏は長府満珠・干珠の島の周辺に陣を構え、平家を滅亡させます。
ここから武家政治が始まり、長府には守護職が置かれましたが、南北朝対立や戦国時代の争乱期には、その中心的地位を失ってしまいました。
その後、戦国時代には毛利元就に追われた大内義長が、長府功山寺で自害します。
そして毛利元就自身も九州平定のために長府に本陣を構えるのです。
また、戦国時代の武将として人気の高い豊臣秀吉も長府を訪れています。
城に近い場所には大身の武士を置き、外れるに従って軽身の家臣屋敷を配し、
城に近い場所には大身の武士を置き、外れるに従って軽身の家臣屋敷を配し、
山陽道に沿って町人が住む形が設けられるという、
城下町としては珍しい配置で中世以来の町並みの構成が重んじられた結果ではないかと言われています。
残念ながら城は徳川幕府による一国一城の令により取り壊され、現在は石垣のみが残されています。
また、長府といえば忘れてはならないのが、明治維新の中心として活躍した奇兵隊や長府報國隊の拠点として深く関わった地でもあり、
特に高杉晋作がわずか80人を率いて起こした功山寺挙兵は有名です。
この挙兵がやがて、武士の時代を終わらすことになったのです。
また、日露戦争で活躍した乃木大将が幼年期この地で過ごしたのです。
昭和には、、東洋一と言われた下関水族館が開館し、水産都市のシンボルとしてくじら館が建築されました。
長府藩侍屋敷長屋 下関市立長府博物館 功山寺山門
長府毛利邸玄関
この長屋は長府藩家老職であった西家の分家(長府藩御馬廻役、220石)の本門に附属していたもので、
現在の位置より500m程南にあったものを、保存のためにここに移築したもので、壇具川沿いに建ち、
一見長屋風ですが構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造り等は、上級藩士の住居の趣を残しています。
建築規模や格子窓の形態から江戸後期の建築物と推測されています。
下関市立長府博物館は幕末結成された長府藩報告隊士でもあった桂弥一(かつらやいち)が、
私財を投じて高杉晋作の挙兵で名高い功山寺境内に建設したもので、
明治維新の研究や志士達の顕彰活動を行ったもので、維新資料を中心とする博物館資料は全国的に高い評価を受けています。
功山寺はわが国最古の禅寺(ぜんでら)様式を残しており国宝に指定されています。
長府毛利邸は、長府毛利家第十四代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治三十一年(一八九八)に起工し、明治三十六年六月二日に完成した後、大正八年(一九一九)まで長府毛利家の本邸として使用されました。
この界隈、惣社町から古江小路一帯は、最も城下町の雰囲気を残す所です。
現在では「そうじゃまち」「そうしゃまち」と呼んでいますが戦前までは「しょうだ」となまって呼んでいたそうです。
まだまだ見学するところが多く例えば、忌宮神宮(いみのみやじんぐう)、乃木神社、覚苑寺(かくおんじ)などなど
今回は現地ガイドさんの説明を聞きながら徒歩にて2時間(坂道はそんなにありません) ゆっくりと自分たちで散策するのであれば、半日は必要です。
ぜひとも、ご家族やお友達と日帰り観光されたらいい場所だと思います。
昼食後、前田砲台跡:車窓(どこにあるか分かりづらく、いつのまにか通過してました)
次はみもすそ川公園:記念写真スポットです。(但し、大型バスなどの駐車場はなく、次回からは車窓とします)
前田砲台跡(どこかわかりません) みもすそ川公園
記念撮影終了後、下関カモンワーフ・唐戸市場へ(ここは以前ご案内いたしましたので、省略させていただきます)
その後、帰路
このコースは日帰りツアーとしては大変面白く、お勧めのスポットです。
今、社員旅行でお悩みの幹事様がいらっしゃれば、すぐ電話を・・・・・ お悩み解消です。 お待ちいたしております。
では、次回まで・・・さようなら・・・・・・(*^_^*)